ウルズラ・ブルクハルト著『Karlik』を読み始めました。
著者のウルズラ・ブルクハルトは1930年にスイスのバーゼルで生まれた全盲の女流作家、アントロポゾーフであり、ドルナッハの教員養成で学び、スイスで教師として働きながら、精霊や妖精に関する多くの児童書を数多く執筆しています。生まれながらにして妖精や四大元素霊に対する霊眼がひらけており、その超感覚的知覚を通して作品が描かれています。日本語訳は残念ながら1冊もなく、ドイツ語で書かれた本ばかりです。『Karlik』は1985年に出版された非常に古い本で、ドイツではベストセラーになっているようです。また、英語訳で2017年に出版されています。英訳者のデイビッド・ヒーフ(David Heaf)はバイオダイナミック養蜂を研究する実践家でもあるようで、英語訳に至るまでの経緯についても深い出会いや感動があるのではないかと思います。
ウルズラ・ブルクハルトが生涯をかけて伝え残してくれた精霊との対話は、人間本位の偏った妄想ではなく、どのような想いで見えない存在と対峙していけば良いのか。また、存在たちが何を望んでいるのかを深く考えさせてくれます。
感想とともに少しずつ紹介していきたいと思います。
目次
1.intoroduction(はじめに)
2.image and Being(イメージと存在)
3.Possible Way of Meeting(出会いへの道)
4.Fleeting Encounters(儚い出会い)
5.The Breakthrough(大きな進歩)
6.The First Helper(最初の助け人)
7.A Faithful Friend(誠実な友)
8.Festival(祭り)
9.Mutual Friends and Acquaintances(共通の友と知人)
10.Reminiscences (回想)
〜1章(はじめに)〜
・聖パウロ ローマ人への手紙8章19節
被造物は、神の子たちが現れるのをずっと希みとともに待っている。
〜2章(イメージと存在)〜
・外なる感覚で物や生命体を知覚し、それについて正しい考えを形づくる人は明確な概念に到達するが、精霊の描写で同じことをする人々は外界を希薄な物質で構成されているかのような誤ったイデアをつくりだします。
・内なる世界に属する魂の経験は絵画的にしか語れません。
・聞き手は知性で理解するのではなく、相手に共感することによって理解するのです。
最初の束の間の印象を何度も繰り返して経験しようと試みる人は徐々に想像を超えて存在そのものへと進んで行きます。
・私たちは共感的知覚を毎日練習すべきであり、それは、生きているもの、成長するもの、自然の目に見えない働きが私たちの力になるのと同じように、隠された存在の出会いへと導くことができるのです。深い愛と献身だけがこの目標に導くことができるのです。
最も深い迷信は見えない存在を知覚可能な物理的存在と捉えることであり、ビジョンや声をどのようにして聞いてゆくのかという問いを投げかけています。また、ローマ人への手紙8章19節を引用しており、神の子たちを現れるのを待っているのは誰か?それは四大元素存在なのか?この問いかけで1章のintroductionが終わります。
2章はイメージと存在についてです。もちろん分析的思考や比較、正確な描写も重要だと思いますが、元素存在を捉えてゆく上で根幹にある最も重要な態度は「共感」「愛」「献身」であると断言している著者の言葉に深い念いと力を感じます。表象を描き、繋げ、流して眠りへ、そして答えを待つことを繰り返すことで存在たちと繋がってゆく方法がありますが、それを実践する前に私が根本にどんな感情を抱いているのかが常に問われているように思います。
昨日、一昨日と水が溜まらない田んぼの修復や畑の畝立てをしながら、自分自身への問いかけを繰り返していました。「もしも、精霊たちと会話ができるなら、あなたは何を伝えたいのか。彼ら存在たちはあなたにお願いがあるのならあなたはすべてそれを聞き入れるのか」「もしも存在たちにしてほしい仕事があるとしたらそれはどんな仕事なのか、そしてその内容は私心から発露されたものなのか。何のために。誰のためにそれを為していきたいのか。」そんなことを問うていると、精霊と対話をすることが目標ではない気がして、それよりも、大切なのは何かを考えるプロセスが重要であるように思います。自己との対話を澄ませてゆくほどに自己との対話は存在との対話になってゆくことを彼らは教えてくれるのかもしれません。
私たちの身体も四大を担う元素からつくられています。自分自身と深く繋がってゆくことが四大と深く繋がってゆく第一歩になってゆくのでしょう。共感的知覚を繰り返す練習を継続していきたいものです。
3章へと続きます。
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