月と太陽、地球の引力、遠心力によって引き起こされる潮汐力について。理論的には月が南中したタイミングで満潮となるが、場所と地形による摩擦力の違いから満潮となるタイミングはずれる。例えば日本海では夏の昼間に満潮となり、冬の昼間は干潮となる。太平洋側はその逆で、夏の昼間に干潮となり、冬の昼間は満潮である。
潮が大きく引く時に、砂浜には特異的なパターンが現れる。私が住んでいる伊豆近くの海では夏の間に砂浜に非常に面白い模様を観察することができる。
砂浜に現れる模様と星位との関係性を最初に示唆したのは天体栽培エネルギー法を40年以上にわたって研究し、バイオダイナミック農法の確立していったマリア・トゥーンで、彼女が著した『星位研究からの注意』の中に幾つかの写真が出てくる。またテオドール・シュベンク著『カオスの自然学』についても興味深い内容が記述がされている。
何度も読んでいるがどちらの本も難しい。昨年は夏の間、畑作業の合間を見て太平洋が見える砂浜に通った。12星座から届いている形態形成諸力に原形は見られるのか?特定の星位からタンポポはタンポポになるならば、植物の種の形態に共通する固有の星位がわかれば、彼らへの眼差しが深まるのではないか。植物へ還す言葉があるとするならば、彼らの星の故郷がどこにあるのかを探す旅をしなければならない気がして始めていった。まず驚いたのは、大潮、中潮、小潮、長潮、若潮、中潮、大潮へと月の巡りと共に変化してゆく潮位の面白さとダイナミックさ。地球は水の星であるという至極当たり前のことに改めて驚いた。なぜ波の音はこんな音を奏でるのか。その音にただ感動した。波が自分の足を伝うこと。砂浜を歩き、水が何かを訴えかけてくるようだった。その水は地球の生命そのものだと感じた。触覚とは別れであり再会であるということを海の水が思い出させてくれた。
宇宙の生命力は月の領域を通って水を介して伝わる。シュタイナーは地球自身の内部にある月が潮汐力の源であるという発言をしている。月と地球が一体であった時代の名残はムーンノードと地球の歳差に見出すことができる。そして人間の呼吸の中にも。その呼吸のリズムは波のリズム、波の音のように思えて、人間の呼吸は波の音に通じている考えると、呼吸の中に全ての答えがあるような気がした。波を見て、音を聞いて、砂浜をスケッチし、雲を観察し、月相と12星座の観察を続けた。植物はカプーアトゥルシーの観察を続けた。彼らは双子座の領域と親和性があることがわかってきて、自然と言葉も生まれた。
ひ ひ ひ か り
ひ か り が と も る
その言霊をトゥルシーに響かせ続けた。
そのうち、畑に立っていると波の音が聞こえてくるようになった。畑は里山の中にあり、もちろん海からは離れている。畑近くの川の音と海で見続けた波の音が互いに響きあっていることを感じた。大潮のときは地球の海水は大きく揺さぶられ、砂浜には明確な輪郭を持った形態が現われるが、その大きな揺れが植物の体内の水さえも動かしているように思えてならなかった。幻想だろうか。けれども、名古屋大とトヨタの共同研究で潮汐力と植物の成長に関する栽培法を見つけ、あながち自分が感じている直感は間違いでないような気がした。水が大きく揺り動かされる時に形態が現われるということ。そこに星位の力が入り込む。その星位は何座か?12星座以外の星々は何か?惑星はどこにいるか?そのことを考える。そして魚座に位置するならば魚座が為している仕事や意識の進化において為してきた仕事を瞑想する。魚座の領域の星座、牡羊座、水瓶座、クジラ座、ペガサス座やアンドロメダ座の星座線、星座絵をイメージする。また、シュタイナーが残してくれた魚座の色彩、形態形成諸力、物質形成諸力、言葉の力を想う。そうして自分が感じるイメージや言葉もそこに加えてゆく。
この一連の流れは、自然界が共同して織りなしているオーケストラの楽譜をよく観て、オーケストラを奏でる存在
の一つ一つの音に耳を澄ませる行為であるように思う。そして、私もそのハーモニーを乱さないように、自分の音も加えて、調和の音をさらに高めてみたい。その願いが、観察と農という大地の関わりへ繋がってゆく。
セロ弾きのゴーシュが自然存在から教わり続けることで、金星音楽団の楽長が驚くように、楽長がハッとするような音を奏でられる瞬間が今年は来るかどうか。ひとりひとりがゴーシュになれたなら、本当の意味で金星の力と繋がっていける気がする。
今年もゴーシュに倣い、
できる限り天と地のリズムに耳を傾けて栽培します。
雨水を迎え、春が始まる予感です。
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